カミナリと大雨

六月も今日で終わり。今年も半年がおわった。昨夜はすごい雨とカミナリ
が夜中までゴウゴウと獣の咆哮のように聞こえ稲妻が走るすごい天気で
アレルギーを持つ我が身には、それだけでも辛く朝まで眠れなかった。
寝不足で頭がふらふらするのをなだめて起きる。新聞を読むと米原
竜巻が起きて家の屋根を吹きとばしている。まるでそれが何か行かねば
ダメなのかと自分で思いつつ散歩してコーヒーを飲みに行く。着いた途端
に、ざあっと雨が降り十分ほどでぴたっと止み忘れたように明るく晴れる。
そんな天気の移ろいを喫茶店の窓越しに見ていると梅雨も終わりなんだと
感じる。この数日、数件からメールが来るはずなのを待っているがパソコン
を見ても何も着いてなく、こんなメール待ちの時間が妙に長くて嫌になって
来るな。このまま連絡しないで済ますのかもと思うができたらきちんとして
欲しい。どうでも良いメールはすぐ来るのに大事なメールは来ない。
私は電話があまり得意でないし、特に大事な話はメールで連絡する方がやり
易い。世の中にメールがあって意思が伝わったと思うことは数えきれません。
携帯メールは何故か喫茶店か飲み屋さんから出すことが多い。メールが来て
電話することも多い。まぁ限られた友人だけだけど。
今日も昼過ぎまで体の具合が悪く、ぐったり寝ていたが午後三時頃から
カミナリが鳴りだし雲が空を覆った。すぐ近くでカミナリが落ちてすごい音
がして、激しい雨が降る。「海辺のカフカ」を寝ながらずっと読んでいるの
で、まるで入り口の石を開けたような天気だ。この小説は高松にある図書館
が出てきて、大島さんと言うとても魅力的な人がいる。「海辺のカフカ」で
私は大島さんとナカタさんが大好きだ。本当は違うけど大島さんに憧れて
名前をつけたと思いたい(残念ながら先に自分の名を決めた)本屋で話して
ると、大島さんと呼ぶ人も多くいるが図書館の大島さんは自分の理想像と
言っても良い。似ても似つかないのが、ちと悲しい
あらためて再読するとあちこちで読んでいて感心する表現があり村上春樹
ひとつの集大成の場所にあるような気がする。すごい作家だ。