台風一過なれど

すごかった台風が過ぎて、朝はやっと晴天。雨の日続きだったのでお日様
が気持良い。娘の弁当を作り、洗濯物をわっと干す。良い天気だ。
台風の被害のあとがすごく、喫茶の友Y氏の隣の家の屋根が飛んだと。まだ
建って一年未満の家だとか。選挙もあったし忙しい日だったと話してコーヒー
を飲む。家で本の整理をしていたら、「日々すれすれ」吉行淳之介がカバ欠
で出てきて、ずっと読む。昭和62年の週刊誌連載の最後(多分)で体調が
相当悪くなっていて、原稿を書くのが辛そうなのが端々にわかるような文。
その苦しい日々でも近所のパチンコ屋に行くのがあり、戦後すぐからパチ歴
があり好きだとで、その中に好きな台の話が詳しくあり思わず、へぇこれ
したことある。と急に親近感がわき何だか勝手に親戚の少しスケベなおじさん
のような気がした。
私の家の近所にも、かなりパチンコ店があるし近所の仲良い人は殆どパチンコ
好きだ。先日も、その人等と一緒にお昼ご飯を食べた時一緒にいた女性が、
パチンコ店のお掃除のおばさんで、私がトイレを借りに入ると声を掛けられて
今日も一昨日、喧嘩騒ぎで警察官が十人も来て大騒ぎだった事を教えてくれた。
それはともかく、吉行淳之介さんがパチンコ好きで打ってた台を私も好きで
打ってたのは17年ぐらい前だ。今は、見かけない。平台の羽モノと呼ぶ台
だった。思いだすと、自分が初めてパチンコ店に入ったのは25歳で当時
付き合ってた男性が、遊び人で仕事はしてたがバクチ好きで元町の一階が
パチンコ屋二階が玉突き屋の店に入るのに付き合わされて、初めてパチンコし
たら、すぐフィーバーして777が揃い何が何だかわからないまま箱一杯の
玉が溜まっていた。男の方は当たらずでそれが初パチンコだった。その後、
仕事を辞め毎日パチンコばかりして酒を飲んでいて、愛想をつかして別れたな。
最後に聞いたのは結核になったらしい。今はどうか全然知らない。
それからパチンコ店に入るのに抵抗が無くなり、時どき今もしている。千円だけ
とかね。よく思うけど、こんなに多種多様な客が来るとこも無いだろな。と
見ていて思う。前は丸谷才一そっくりなおじさんを見た。貧富の差なくあらゆる
職業の人がいるような気がする。小説家もいてもおかしくない。