尼崎風景

なんとなく思いだしたので、尼崎のことをもう少し。
私等には尼崎と言えば、中島らも。が一番に出てくるな。らもさんは尼崎の
出身で今も実家が立花で歯科医院をしている。今、読んでいる「愛をひっかける
ための釘」にも尼崎の家のことが出てきた。当時昭和30年初めはまだまだ貧し
い時代で、自分の家や向かいの韓国人の住んでいた「まんじゅう」の家でハレ
の日は家の前で鶏をつぶしてトリ鍋にしたり食べていたと。同じような話は、
大阪の生野出身の某店のママからも聞いたし他でもある。それを見て鶏が食べれ
なくなった。と今もトリ肉が食べれないとかね。まーそりゃそうだろ。まして
子どもの時だとね。「赤目四十八瀧心中未遂」の車谷長吉さんから直接聞いた
話で、かって出屋敷のアパートで焼鳥の串打ちの仕事をしていた頃、道ばたで
豚を解体しているのを見た。と言っていた。尼崎のことを地の人は「アマ」と
呼ぶ。まぁ今は時代が変わり、生きた鶏などしめる家は無い多分無いだろう。
その代わりに、玉出で安売りのトリ肉を買ってくる。多分
しかし私がちょくちょく行ってビール飲んでいる某店の店長とはカウンタ越し
によく話すが、彼は生まれてから今も尼崎に住んでいるし大学も出ているが
中島らもを知らない。ウソ―と思ったけど、小説読まなくて30代なら知らない
のかもと思った。らもさんが亡くなって一回りはしてるんだから。
今、アマ出身の有名人はダウンタウンだろし、皆知っている。そのうち駅前に
像ができるかも。
ずっともやもやとした事が、やっと晴れ間が見えてきてホッとした。理不尽な
ことはいきなり起こる。この十日ばかりよく我慢したなぁと自分で思う。
私は見た目より窮地に強いのかも知れない。泣きわめきたくなるような時でも
人前では普通そうになる。前にも、そんな強さを言われたことあったなー
何のことかわからないだろけど、ぽろっと言わせてくだせぇませ。