メリークリスマスだ

とうとう、クリスマスイブになってしまった。今朝は朝焼けがとてもきれいだった。
余り寒くないので雪は降りそうでない。新潟では大火事、札幌では大雪と荒れた天気みたい
だけど。
クリスマスプレゼントに、自分に思わずグリーンの財布を買う。別に、そんな積りで無かった
がケーキを受け取りついでに、某ライフで見ていた新財布コーナーに気に入ったのがあり、ま
いいかーと。ほんとは、灯油ストーブに使うホースが壊れたので新しいのを捜しに二階に上がり
先に財布売場で見てたんだね。新しい財布だし、新年まで使わないでと思うものの、すぐ使い
たくなり今までの韓国で買ったルイ・ヴュトンの長財布をあっさりやめてカードやらテーブル
にバラ撒いて入れ替える。なんだか楽しいな〜
この前に、古本市で買った杉山平一詩集を読む。四年前にもなるが90歳近くまで詩を書いて
いた。最後に出したのが「希望」だったと思う。年譜を読むと、青年期から長く芦屋に住んで
いたのを知る。戦前に電気系の大手会社に勤めていた父親が独立して、尼崎に電気工場を建て
起業したが、一時は成功したものの戦後は作るものが売れず不振で倒産の危機も何度もあり、
昭和47年に破産し、芦屋の自宅土地から工場の全てを売り渡しても借金が残る。宝塚の借家
へ移り、おそらく大変な挫折感があったと思われる。丁度、その頃は私も芦屋に住んでいた。
小学校でもクラスに「社長の子」は沢山いたし、金持の方が多い市な感じだった。芦屋に家を
持ち大阪や尼崎で会社の社長(と言っても小さい会社もある)が父親なんてゴマンといたと
言っても良い。しかし、杉山家のように見た目には会社社長で金持と思われてる家が或る日
突然、家から出ていき消えているのも少なくなかった。破産するからと言う人は居ないから。
会社や自宅まで夜中にいかつい人が借金の催促に来るようなっていた時でも、父親は集めて
いた名画などを最後まで売らなかったらしい。これもよく成功した人には、名画骨董を収集
する人が多いが、没落しても最後まで手離さない人が多いんだね。余談だけど、私の父親は
同時期に芦屋から尼崎の日本通運へ通勤していた、生涯、会社勤めで40年通勤していたが
同じ電車に乗った日もあっただろう。家人も芦屋のすぐそばから尼崎まで通勤している。
なので、尼崎とは縁があると言えないこともない。地元の人は皆、アマと言う。

 ストーブ    杉山平一

行く道は次々にふさがり
僕の胸は暗い石炭で一杯だ

けれど燃えるど
今に声あげて燃えるど