とと姉ちゃん

朝早くから、外は暗い雨ふり。それも大雨で警報まで出たらしくレインコートを着て傘を
さして外を歩いていると小学生が学校から帰るところだった。しかし桜は、花散らしの雨で
無残に濡れた花びらが道ばたに散っていた。
四月になると、テレビも新番組になり朝ドラは「とと姉ちゃん」が始まっている。見てると
昔ながらの家で暮らす、とと(父)かか(母)と娘三人の生活というかなんだかなつかしいよう
なのがある。向田邦子のドラマと似たものがあるねー私の家もあそこまでじゃなかったけど
朝や帰宅の時は親にまずあいさつをして、食事の時もきちんと「いただきます」と家族皆で言って
から箸をとり、正座で行儀よく食事することをかなり厳しくされた。まぁ家はもっと小さな家だった
が。父親は固い会社のサラリーマンだったし、怒られると前に正座させられてお説教を言われた。
原則、親には口応えしてはいけない。テレビも父親が全チャンネル権を持っていた。なので中学頃は
父親は嫌いだった。はじめて口応えして「うるさい!」と言ったのは二十代なってからだったなー
 まぁ朝ドラみたいな家族には、ならないんだすよ。「とと姉ちゃん」のモデルは「暮らしの手帖」
の社長だった大橋鎮子さん。私等には、この雑誌と言うと花森安冶だね。かなり変人の風貌で女性の
気持がわかるようにスカートを履いていたとか。これは後知りだけど、花森は神戸生まれで雲中小の
卒業生(葺合区)
「暮らしの手帖」の表紙裏だったと思うけど一銭五里の旗のボロボロの継ぎ合わせた旗の写真と文が
載っている。これは、私たちの暮らしの手帖です(正確でないかも)の言葉が綴られている。今でも
古い号は古本市とかでお目にかかる。ウチにもどこかにあるけど、例によってすぐ出て来ない。