もう頬づえはつかないの

nae586252015-12-03

今年も大詰めの十二月に突入して、はや三日。師走は、ボンさんが走るからだけどこの頃の坊さん
はバイクに乗って走るのだ。
二日前から、ああ、うどんが食べたい。と思いながら近所に良い店が無いのもあり食べれずにいた
ら、今日の昼すぎに殆ど衝動的に出かけて電車に乗って元町へ。南京街の中まで一直線に歩いて
「みゆき」で、うどんと赤飯がセットの寿定食(めでたい名前だ)を食べる。これが念願叶って
と言うような、「うまい!」と声が出ていた。前は、ちょくちょく来ていたが最近はご無沙汰だ
ったのもあり、おいしかった〜 出汁と麺が何とも言えずちょうどよろしいざんす。満足して
ここまで来たしと某古書店まで、コーヒー持っていく。やる気がない。と言う店主とぼそぼそ
話してコーヒー飲みながら本を見たら、先日亡くなった水木しげるの初期漫画の本とか面白い
本がさらっと置いてあり、映画ATGの「もう頬づえはつかない」のパンフがあり、おお。と
即買い。この映画が出たのは、昭和54年で裏表紙には「光の領分」津島裕子・「風の歌を聴け
村上春樹講談社の宣伝が並んでいた。そーだ、この年だと当時のことが一遍に思いだす。
36年ほど前。「風の歌を聴け」が講談社「群像」で新人賞をとり、それを買って読んでうそー
と言う余りによく知っている芦屋の海や公園が出てきて、びっくりした。まぁ共感したんですね。
その時買った「群像」は、結婚後と震災でのドタバタの引越で失くしてしまった。他にも
ハルキ本を新刊で出るたびに、乏しい小遣いから買ってすぐ読んでたんだがこれも震災で自宅が
全壊して本棚も埋まってしまい、本は一冊も出せなかったしずっと買い貯めていたレコードと
ステレオも土の中になって出せなかった。
それが、何故かスカッとした気持だったのを覚えている。すぐ大阪へ避難してから、自分が何も
読む本が手の中に一冊も無い。読めないのが、すごく困ったのも覚えているな。
それから二十年、今は震災前より家の中は本やレコードやら諸々で置き場所も無い。やれやれ。