業の強い人

又台風が来るとかで、熱帯ばりの暑さになるが空は晴れてさわやかな空気がする。
いろいろと親戚がらみで母親から電話があり、呼びだされて娘と三人で和風ファミレスでランチ
をした。それは良いんだが、今年八十になるとは思えない良く言えば元気で、悪く言えば業の強さ
がひどくちょっと年相応に大人しくしなはれ。と呆れる。私より、ずっと元気で動きまわっている。
昨日も四天王寺へ半日行って大金を寄付して死んだ後の手続をしたと話すが、ちゃんとお墓もあるし
仏壇もあるのに、何を考えているのやらであんたのお金やから勝手にしなはれ。と最後は言う。これ
も或る意味ボケ症状かも。ついていけないし、まともに頭で考えてるのかと思うような言動が年々と
ひどくなるねー そのうちお寺とお墓を毎日回りだすんじゃないだろか。そうかと言って信心深い訳
じゃないのに。見てると、はやく死んで極楽へいきたいのかと思うねぇ。
業が強いといえば、京都の寂しい人もそうだろうと思う。不屈と言うのか、普通の人なら死んでいる
ようなのを生き残って世間に出てくるのはすごいと言うか、業の強さとしか見えないものがある気が
する。私の母親も大抵、業の強い人だと常々思うけど比較にならない強さがあるみたいだ。母親は
金銭の欲も人一倍強いし、したくないことは絶対にしない。私が入院して動けない時ですら、何も助け
てくれなかったし子どもも全然みてくれず家人が会社をその間休んだ。次女を出産した直後に名前に
文句をつけて、勝手に自分がつけた名前にしろと強要したり退院した時も、厄年の女の子だから捨て子
の儀式をしろと家に帰る前に道ばたに置いて拾うのをした。そんなことより、あんた子どもを預かって
くれと呪ったのは、今でもよく覚えている。頭がおかしいんじゃないの、どっかで余計な洗脳されてん
のかと思った。目の前で娘が入院して二才の子どもがいて困っているのに、一日も預かってくれなかった
これが業が強いと言わないのかよ。自分の娘を捨てて男に走って年とって仏門に入って説教するのも業が
強いからとわたしゃ思う。
次女を産んであと、私は母親の介護は絶対にしないからね。と固く思ったな。あんたに借りは作らない。
そう思っているのを、母親はわかってないだろうねー多分。他人ならとっくに縁を切ってる。