贋世捨人 2

 車谷長吉さんのこと、追悼の気持で追加していきたいと思う。月曜の新聞各紙に発表された。
何かお悔やみを言わなければと思うけど、何を言えば良いのかそれにもう車谷さんは亡くなったし。
一日ぼんやりしていたけど、ハガキだけ書いて出す。友人からメール。
 車谷さんと最初にお会いしたのは、12年前だったがそれから五回都合お会いした。姫路で三回
東京で二回で、二回目からは全部招待していただいた。「赤目四十八瀧心中未遂」の映画を姫路で
上映する時に、荒戸監督とトークをするので観にいきます。と言うと、始まる前に上階の応接室の
ような控え室に呼んでくれて、荒戸監督ともあいさつして私が書いた映画評を読んでもらって、
サインまでもらった。さっぱりした感じの良い人だったな。映画は賞を総ナメで、主演の寺島しのぶ
さんの出世作になったと思う。尼崎のアパートで焼鳥の串打ちをする男と、背中に刺青をした美女の
アヤちゃんが同じアパートで住んでいる。
このアパートは車谷さんが実際に住んでいたところがモデルになっていた。直木賞をとったあとに、
神戸に来た時に訪ねて行ったら取り壊されていたとお聞きした。出屋敷の駅の近くだったそうだ。
神戸でも、料亭の下働きをしていた時に元町の古本屋へよく行って黒木書店でよく買っていて、
黒木さんから「あんまり本を買うな」と言われたヘンコなおやじだったよ。と話していた。給料が
4万円で3万円本を買っていた。古書店で今は出てない古書を捜して買うのが好きで神戸でも元町
のあちこちの古書店へ行ったことを話していた。野坂昭如の本でひとつだけ無くて捜していると言われ
ていた。京都の湯川書房から何冊か本が出ているが、どうして出版することになったのかいきさつを
聞いたのも面白かった。「抜け髪」が古書価がついて高くて手に入らなく欲しいなぁと思っているが
最初は雑誌に発表したのを湯川さんが読んで、打診したのだとか。湯川書房から出た初期の本は今は
手に入らないのが多く、たまに古書展で見かけてもとても買えない値になっている。
お電話で何度もあれこれ長い時間お話したけどメモもとっておらず時間と共に忘れていることも多い。
最近は、朝日新聞の悩み相談の解答者でその解答が車谷さんらしいので読んで痛快だったので電話で
そのことを言うと、うれしそうに話していたのが最後の会話だった。私小説を書くのをやめていた
ノートに書き溜めていたネタのようなのが全部書いてしまった。と言っていたし、裁判のショックも
あったのだと思う。姫路にも長い間、帰っていなかったのは小説に書いて実家の母親のところへ怒って
怒鳴り込んでくるとも話していた。車谷さんのお母さんともお会いして話したことがあるなぁ。
夕方に、娘に新聞を見せてやると「えっ。車やのおっちゃん死んだん」と、びっくりしていた。いつも
電話を娘が先にとり、名前をきいて「車やのおっちゃんから電話ー」と大きな声で言って、それで
笑っていた。