無門庵

nae586252014-09-23

秋のお彼岸の祝日、いつも思うけど彼岸花てきっちりその時に咲きますねー
毎日一編づつ読んでいた木山捷平「苦いお茶 他」の短編集、なんだかやっぱええなぁ。と
久しぶりの木山節。なんでもないようで、きちんと書かれているんだな。前に「酔いざめ日記」
で小説ではわからない現実のサマと言うか、腹が立ってくるような酒ぐせの悪さや妻への暴力や
わがままなのに、うんざり気味になっていたが小説は読ませるし好きなんだよね。この本は、大阪
紀伊國屋で新刊で買ったけど、もっと読みたくなる。亡くなる前の病院のベッドで書いた最後の
小説もある。生まれは岡山の新山で東京の家は練馬だが、吉祥寺や西荻窪へも近いのがわかる。
今も同じ場所なら、一等地だと思う。本人はバラックと書いているが木造二階建て庭がある。
生きている間、門をいくら大工がすすめても作らず無門庵と自宅を名付けていた。いいねぇ無門庵。
ついでだけど、震災で全壊した前自宅は芦屋の近くで、木造二階建の家だったが狭い家を囲って塀
と門がついていた。門扉があり、はじめこそ門があるよ。と思ったが、住んでみると狭いし二階に
階段を行き来するのもめんどくさく、外の音は響いてうるさい。窓を開けると通りすぎる人の顔が
見えたりしんどいことが多かった。木山風に言うとバラックみたいに地震でバラバラに壊れたよう
な感じだが(勿論普通の一戸建てだが)、住んでいる感じはそれに近かったと思う。そんな家に、
門がある。今は、マンションなので門は無いが鉄製のドアがついている。外を歩いている人の顔が
窓からにゅっと見えることも無い。寝ている部屋と別に、10畳のリビングが隣にある。
前の家には無かった。居間で食事をして少し疲れて、休む次の間が無いのが一番しんどかった。
二階へあがると用事ができない、ちょっと横になれる部屋が取れるほど広くなかったのだ。
狭い家に門は要らない。と思う。廊下を渡り南向きに縁側があり、庭が眺めるような家にあるのが
門だよね