湯川と赤尾

nae586252013-12-06

師走に入り、あれこれ気ぜわしいけれどまぁ忙中閑あり。お気に入りのブログめぐりをしていたら、あらと気になりゴソゴソと本の山を調べて出てきたのが、「季刊湯川 3号」1977年10月発行(6号じゃなかったけど)左端に背表紙が見えているのは、赤尾兜子の「稚年記」で同年に発売され、湯川の中に宣伝が載っている推薦文は五木寛之が書いている。これは狙ったのでなく偶然。
湯川書房の本は限定本で高価なのが多い。「稚年記」も昭和57年で2000円定価と奥付にあるが、当時でこの価格は高価だろう。赤尾兜子は、現代俳句の鬼才と言われた俳人だ。これも偶然だけど赤尾兜子の家族と今も付合いがある。自宅が御影山手の閑静なところで自宅にも何度も伺ったことがある。簡単に言うと、ひとり息子さんと友達で20年以上前から知っているからで今もどちらかと言うと細々と俳句の会や「渦」の発行をされ俳句を継いでおられている。兜子は晩年ノイローゼ気味で、阪急電車の踏切が閉まっている中にぼんやり入り電車に敷かれて亡くなっている。よく知っている友人等からは、さもありなん。と思うような鋭い神経の人だったらしい。
しかし私が知り合ったのは、亡くなった後で写真でしか知らない。湯川さんと赤尾兜子が親しくして何冊も句集を出していたので、一度その話を湯川さんにしたことがある。まぁ今や二人とも鬼籍に入られてこうして本が残ったのだな。息子さんの徳也君は、見た感じが父親によく似ている。
私も俳句を作るが、結社に入ってないし至って気ままに作句しているだけだ。
 何か慌ただし立つは冬日どん底に  兜子