大阪長町のこと

いきなり冬の寒さに、震える。慌てて押入れから家族のダウンジャケットや防寒コートを出すと他にも着てない服がボロボロ出て、部屋が服だらけになる・・・思い切って捨てることにしゴミ袋にどしどし入れて置いていると、家人が帰ってきてまた袋の中身を見て捨てずに古着屋へ売りに行くとか。どうぞご勝手にだが、こんな事は結構あるんだねぇ。
昨日、読んでいた武田麟太郎の「日本三文オペラ」他収録の古本で買った全集の年譜を読んでいると明治27年に大阪南区日本橋東に生まれるとある、これは「釜ヶ崎語彙集」に書かれている江戸時代初めからあると言われる長町と呼ばれる貧民街の一角だった。明治天皇が大阪へ行幸される時に道筋にあたり、見苦しいからと大阪市が長町を一掃し住民を今宮辺まで追いやったので、釜ヶ崎ができた。とある。しかし明治天皇が帰ったあと又、貧乏長屋ができ武田が死後も日本橋東あたりは軒の低い長屋が並ぶ貧民街だった。最近二十年前ぐらいまで現存していた。と大阪に住む友人から聞いたから確かなことだ。武田麟太郎が貧乏なアパートに住む最下層と呼べる人たちを視る目は、そんな長町で生まれた自身の幼年期の生い立ちがあるのは深く頷けるな。大阪出の作家とか狭い枠に入らないすごい小説家だと思う。よく全集を古本で気まぐれに買っててよかった。