女子のたしなみ

この頃、ここでアシヤ書房のことなど出てきたのでこれまた偶然に古書で「芦屋市制60年史」があり、なつかしさもあり読んでいた(しかしあんた仕事してんのか)芦屋市になったのが昭和15年それまでは精道村で、さらにその前は三村が合同になってとある。明治なってから学校制になり精道小学校が明治22年創立。ここは祖父が通っていたし私も卒業生で戦災で焼けるまで家は結構大きな屋敷だったと父がよくくやしそーに言っていた。
今のJR芦屋駅(旧国鉄)の回りほど良く言えば発展したとこもないし駅上に大丸ができ昔の街の面影を徹底的に破壊し馴染の無い街にしてしまい最近は全然いかない。噂ではきれいだが空き店舗も多いらしい物価は高い。私が生まれた時は家は焼けたあとで戦後には土地もなくして父は苦労したし若い時から働いて家族を養ってきたので決して金持では無く家の中は質素そのものだった。のに土地柄なのか親の見栄か、三才で日舞4才でピアノ6才で習字とそろばん。その後に学習塾へ行かされて月曜から土曜まで毎日なんかしらお稽古や塾へ行かされた。なので遊べなかったし中学では生徒の半数が私学受験したのでお金も無いのに受験させられそうになり女子校へ中学から行きたくないと強く私が希望して精道中学へいった。
それが住んでいたとこの一般的な女子のたしなみだったのか、お陰で私は今は狭いとこに一時間以上座って押しつけられるような話を聞いたりするのが出来ないし気分が悪くなる。外を好きな時に好きなとこへぶらぶら歩くことができる自由は今ようやく手に入れたささやかで大事なものなのだな。今思っても、おかしな常に大人から頭を押さえられてお稽古事ばかりさせられてうんざりしていたように思う。しかし日舞もピアノも身につかず勉強も余りせず親の思うような大人にならなかったのは明らかだろねー