偉人たちの冬

今年の冬は寒くて長い。暦では春なんだけどね。
古通のというか神保町の古本界のドン的長老だった八木福次郎さんが亡くなったのを知る。知ってる人はとっくに知ってるんだろうけど、8日に肺炎でなく亡くなられたそう。96才、古書の世界で知らない人はいない人。東京古書会館とも縁が深い。家族葬で済ませたそうだけど古書会館でお葬式をしたらよかったのに。と部外者は勝手に思うな。この頃は有名な人でも普通のお葬式をしない。すこしさびしい気もする。そんな時に久しぶりに会い故人を偲ぶことも多いんだし。
しかしこの頃、高齢化のせいか私の周りでも60代ぐらいから、死んだらどうの死んだ時のために本を整理しているとか物を減らしてるとか矢鱈、死んだ時のことを話す人の多いこと。もうすぐ死ぬみたいに言うが、あと20年は平均寿命でも生きる時代だし余りに増えると、こちらは死んだ時よりも今をどうやって生きるか或る面、深刻なのも抱えて大変なのにねぇ。老後の余生みたいなのを心配事なしに墓の心配だのしているのはぜい沢な悩みじゃないかいな。と言わないが思う。それどころじゃないどうやって生活して働くか必死な人が多いんだから、ウチだってそのひとりだし。
少なくとも八木さんは、そんなこと言う人ではなかったんじゃないかと思う。死ぬ前まで現役で仕事してた人だ。仕事を定年で終えてヒマで年金暮らしで、あとは死んだ時のことばかり考える高齢者ばかりになる日本に未来はあるのかしら・・・
お金も無く年金もかけてなく死ぬまで仕事しないと生活できん。て人も身近にいるが、隠居できないだけ元気そうに見える。