長いお休み

nae586252011-05-07

五月連休もようやく終わりが近い。一週間、家人は長いお休みだったが自分ひとりで出かけたのは図書館だけ。やれやれ。
母の日が日曜日なので買物に行った大型スーパーでは赤だけでない色とりどりのカーネーションばっかり店先に大量に売っている。思わず、子どもにカーネーション要らんから他のおくれ。と言うと呆れられた。花でも他のあじさいとかの方が好きだけど日本人は、決まったのをするのが好きらしい。
いろいろと本マガが出たあとにはこのブログへ来る数が増える。前に会った人に月一回見に来ると言われた人もいた。今月から久坂葉子のことを、集中して調べてたのでせっかく調べたし面白いので原稿に書いて本マガに出すことにした。私は忘れぽいし、ここで少しメモにしたのを書いていくのもアリかなと思うので付けておく。
久坂葉子が生まれたのは神戸の諏訪山の家。北野に近い山手の大きな家だったが、戦争で焼けた。戦後は父親は無職になったが、貧乏とは遠く収入がなくても川崎家のプライドは高いし筍生活でも戦後の悲惨な沢山の庶民の生活に比べものにならないぜい沢な生活だった。それだけ財産があった。例をあげれば、兄は長く結核で入院していたが病室でヒマなのでクラシックのあれをこれをと高いレコードをしきりに買ってこさせて病室に置いたステレオで聴いていた。世間が餓え死にしてる人も多い戦後の最中、働いたことも食べるのに困ったこともない財閥の落ちぶれかかった家のなんつうか意識のなさは世間知らずを通り越していたんだろね。貧富の差が激しかった戦前の一握りの金持が、戦後に崩壊し闇市から必死に仕事をして大金持になった人達が旧華族さま方の豪邸のあとに新しい豪邸を建てて成金になったのも実力社会になったあかし。今じゃその成金が由緒ある名門になってきてんのだからー