東日本大震災

nae586252011-03-12

昨日の大地震は、東日本大震災と名がついた。一日中、テレビは地震のニュース一色になり見ている間、心が痛むので途中テレビを何度も消した。
なんの役にも立たないかも知れないが、やはり阪神大震災の日を思いだすのでちょっと、その時のことを書いてみる。地震が起きた時は、浅い眠りでぐらぐら揺れてすごい縦揺れが起き、タンスの下敷きになる。二階に皆、寝ていて一階はぺしゃんこ。真っ暗な中、家人が声をかけタンスを持ち上げて助かる。明るくなって外を人が話しながら歩いていく声が聞こえて「助けてくれー!」と叫ぶが、奥の奥さんの笑い声が聞こえるだけ。結局、二階の窓を割って外へ出てパジャマに裸足で歩いて実家へとりあえず避難した。実家はマンションで無事だった(中はぐちゃぐちゃ)。
一晩リビングで眠れない夜の間も余震がひっきりなしに来る。大阪の親戚と一瞬電話が通じ、こちらへおいでと言われ母、妹等と共に二日目に歩いて西宮北口まで歩き電車に乗って大阪へ行った。
その時、何ひとつ出せず一文無しで大阪へ着いてもお金が無く親に一万借り(後で返した)たが、親戚のおばさんは誰も貸してくれない。銀行のカードも勿論ないし家人方の叔母さんに電話して無事だったことと生まれて初めてお金を貸してください。とお願いしたら、その晩に身を寄せている親戚の家に大量の米や服と、家の前で封筒に入れた20万を渡され「返さなくてもいいから」と言われたし、そのお金で仕事の給料が入ってくるまでどれだけ助かったかわからない。お金が全く無く家も無いのが、どれだけ心細いものかなってみないとわからないだろう。
あの時ほど人の本心が出たこともない。まだ家に閉じ込められている時に、笑いながら前を歩いていた奥さんの声は今もはっきり聞こえている。財布も持てず家も無い私に、家賃(親の買った家に家賃を払って住んでいた)1月分まだやから払ってと母親に言われたのも覚えている。震災のあとも泣きたくなるようなことはありすぎる。