雨のち晴れ

昨日は週末の雨が一日降って、なんだかさびしい一日になったけど今日はきれいな晴れ。その雨の土曜日に車で六甲アイランドブックオフと古着屋(ブ系)へ大量のブツを持って行った。とにかく家にある不用品を全部なんとか売るか処分して空きを作る必要に迫られているので、4人が大袋二つ持ち8個の荷物をカウンターになんとか運んだら、それだけで疲れる。
六アイの「ブ」では、この前に偶然、大森一樹さんと遭遇したが今日は押入から本が出てきて、その中に大森監督の『震災ファミリー』(1998)が出てきてパラパラと読んでいた。内容はタイトルのとおり芦屋のマンションで被災した監督一家と監督の仕事やらマンションの修理建て直しのゴタゴタと映画作りの話で、正直なとこ、あの頃大量に出版された震災本ブームの波で出た感もある。まぁこの本が署名サイン入りで100円で或る「ブ」で売られていたので中も読まずに買って、今はじめて全部読んだのだった。この本には宛名がありこれもヒマに任せて検索すると、結構有名な針灸の先生らしくいやはや。自分の名が入ったサイン本は売るとややこしいから気つけよう。
大森監督の家は、この間まで仕事で行ってた芦屋の南の川近くの閑静な住宅地で環境は良いんだが仕事で東灘から行くのには少々不便な場所でもあり、足の便が悪いので自転車で雨の日炎天下も行っていた。距離にしたら大したことないけど歩くと遠いし喫茶店もない買物する店も殆どない。車乗るのが一番動ける。お陰で大雨の日に長い間、運転してなかった車に乗って仕事に何度か行ったのでペーパーにならずに済んだなぁ。昔は海が近くで、歩いて海辺まで行けたけど今は河口付近しか海辺はない。この本の中で、村上春樹の『風の歌を聴け』の映画化の話のことが少しだけあり、大森監督は同じ中学の4年後輩で中学の時に、国語の先生が「すごい文章を書く中学生がいた」と話したのが、村上春樹さんだった。というのがあった。ふーん当時、村上さんは高三で勿論、まだ作家じゃないし子どもの頃から、すごい文章を書いていたのを教師が認めてたんだろか。
それを大森さんが中学で覚えていたのも、ほんとかなぁ。と言う気もするが、多分本当なんだろう。私は大森監督の6歳下なので、学校で会ったこともないし国語や美術の先生が「すごい生徒がいた」とか言ってたのも聞いた覚えがない。言ってても忘れてたのかも。で、余りつうか全然良い思い出のない中学の国語の先生てどんな人だったかなと思いだそうとしても、はじめ全然思いだせなかった。しかしふと一番まともで好きな先生が、国語の女性の先生だったのをやっと思いだした。小林先生と言われた。ろくでもない中学で、唯一まともな人みたいな気がしたな。何度かクラス会があり先生とお会いしたけどその頃はもう教師をやめていた。他の先生の名前はまるで覚えてないけど、その先生だけは覚えている。
大森監督とは、元町商店街でも遭遇した。今度思い切ってサインを貰おうかな。
何にも仕事してない時に、今なにの映画撮ってるんですか?と聞かれると死にたくなる。と書いてあるから、絶対に聞きません。