高瀬川


高瀬川の桜 花びらが散っていた
京都の桜の写真をうれしがって(Lサイズを)数人に見せたら、大きめ四切を欲しいと言われ、今朝それを持って行き付けの珈琲屋で売る。見せると、とても喜んでくれたのがうれしい。それでもう一枚売れてカメラ屋がキャンペーン300円中にプリントしないとなぁ。手間賃入れ400円貰った(台紙つけて透明シートつき)皆、円山の枝垂れ桜を欲しがる。確かに大きくした方が良いんだけど。
ちょい家で捜し物をしていると、「ブッキッシュ3号」が出てきて捜しものは出てこないのに、思わずパラパラと読んでいた。木山捷平特集号でこれは売り切れでなかなか今は手に入りにくい。中に高田渡の記事があり、高田渡は木山の初期の頃の詩を歌にしていたのを知ったんだ。
 長屋の路地に 今日も飴売りがやってきた。
 赤い着物をきた 親らしいのと子らしいのと。
 親が太鼓をたたくと 子供がをどった
 だけど飴は ひとつも売れなんだ。
 そいで又 二人は向こうの路地へ入って行った。
 ( 赤い着物をきた親子 歌の方は「長屋の路地に」)
 このインタビューは2002年、高田渡は19歳の頃に詩を読んでいた。
木山捷平岡山県生まれで、戦争で中国大陸へ歩兵でいかされ復員後に詩集を自費出版で出して、その後小説を書いた。私は「長春五馬路」が小説は一番好きだ。同じ戦争で中国から復員してきた後に作家になったので、田中小実昌と古山高麗夫の三人を勝手に復員トリオと名つけている好きな作家。三人ともまるでタイプが違うけど、それぞれ味があって好きだな。三人とも他界してしまった。
京都からそういえば手紙が来ていたな。三月書房の宍戸さんから、読んでああそうかとホッとする。この日は結局さくらを撮りまくり思わぬ良い写真もあったからよかった。宍戸さんも写真好きで、今度はお互いに見せあうかも。ちなみに「ブッキッシュ」は、ここで見つけた。ビレッジプレス社が当時発行している雑誌、現在は休刊に限りなく近い感じで出ていない。偶然だけど中尾さんからもハガキが来ていた。「CABIN」はワープロで作っているのをディリースムースで知ったけど、すごい労力である。お体が丈夫でないのに、体を削って作っておられるのだ。