隠された記憶

nae586252009-01-17

今日、1月17日は「あの」大地震の日です。14年が経ち朝から追悼の式典が町のあちこちであった。前から何度も書いてるので知ってる人も多いだろけど、私の家は全壊し奇跡的に無傷で助かった。あの日の様子も後のこともしっかり体の中に刻みこまれてるので忘れることもない。この日だけ、とってつけた様にする震災番組は好きじゃないので見ません。いつも胸の中で手を合わせている。
前の成人式の時も、平成生まれの成人が小学校に入る直前に震災があった。と新聞に書いてあったが、娘は平成二年生まれで今年19歳で当時は4歳(三月生まれ)だった。幼稚園も小学校も転校したし入ってしばらくは毎日泣いてたと聞いて可哀想だと思ったけど、休まずに毎日行かせたし地震がなかったら。とか思わない。小さい子どもがいて毎日が怒涛のようで後ろ向きになってたら生きて行けません。当事者は外の人が見るより生きるのに忙しいし、「忘れるな」とか言われるのもクソ食らえ的にうるさい気がする。そこに止まって泣いてばかりいたら生きていけないんですよ。
今朝は午前六時に娘A子さんの務め先の防災訓練の連絡網とかで電話が掛かり、また電話を回すとかで5時45分に起された。しかし地震で家がつぶれて電話が切れたらどうやって連絡すんの?と経験者は思うんだけど。私は、やっと電話したのは大阪の公衆電話で104で親戚の電話番号を聞いてかけた時やった。あの時電話したおばさんの声は忘れられないな。その日の夜に避難してた別の親戚の家に来てくれて、一文無しの私に封筒に20万のお金と30キロの米や冬服など抱えてきて、本当に助けてもらった。結局、すぐにおばさんの大きな家で間借りさせてもらい少し住んでたし。あの時の人の暖かさと反面身内の身勝手さは、今も或る教訓的に忘れられない。