15の夜

台風が過ぎ際のあいさつのように、午前にすごいスコールが降る。自転車で散歩中だったので、お陰で自然のシャワーを浴びて(ずぶ濡れで)散歩から帰った。夏の雨で、すこしぼんやりした頭も冷やされたかも。
おかしい偶然があった。何故か尾崎豊の「15の夜」が聞きたくてCDを捜して聴いた。その同時に何故か、「座頭市」で娘風の男の子がおさらいをして踊っているシーンを思い出して、あの踊り残るなぁと思っていたらテレビでしゃべっていた。大衆演劇で子役から目立って有名な早乙女君という15歳の子で、やっぱり普通の15歳にはないものがある感じがする。娘が宝塚の人みたいだ。と見てて言ったが、ほんとだ。それとやはり同時に『海辺のカフカ』を文庫で読みだした。ここも15歳の男の子が家出少年で出てくる。初版でさっと読んだきりで前にブックオフで文庫を買ったのを、最近暑さで本屋めぐりしにくく家にある本を読んでるので又読みだした。
15歳は中学三年だ。思い出しても、ほんとに袋小路のような嫌な年だった。先生も生徒も受験のことばかりで、いつもこいつらアホかと白けていたし神経がピリピリしてどうしようもなくイライラして憂鬱だった。ひどい中学だったし、尾崎豊の歌のように休み明けはいつも窓ガラスが割れて、しょっちゅう講堂に集めさせられて腹が立つ説教を聞かされてた。卒業してから二度と行きたくない学校だよ。中学なんて、ハルキさんが言うとおり無理して我慢して行く意味のないところだ。まぁひどい例を挙げてしまうと、その講堂で生徒集めて壇上でシンナー吸った生徒をひとり出させてマイク持たせて、どうしてシンナー吸ったのかどうとか言わせたのを見てて、こんなこと間違ってるとはっきり思った。教育ってのは、弱いものいじめのつるしあげかい。と今なら言葉で言えるけど、その時は言葉が出てこなかった。壇の上の男の子も15歳だった。傷ついてかわいそうで、こんなのは間違っている。と思ったんだよ。
多分、今はもっとひどくなってんだろう。15の夜。