漱石先生

蒸し暑い日が続く。休み明けの月曜で所用も多く、曇り空の下自転車であちこち走り回る。昨日、また西宮ブックオフで買った『私の「漱石」と「龍之介」』内田百けんちくま文庫)を寝ころびながら読んでいた。百けん先生は、夏目漱石の弟子であり若い頃は崇拝者と自ら言うほどだった。岡山の酒屋の生まれで、東大独逸語科を卒業する。この本の前に読んだ『懐かしい人たち』吉行淳之介にも百けん先生のことを書いた章があり、同郷で東京で住んでいた家も近所だが会ったことはなかったとか。
漱石を先生としきりに書いてあり、明石で漱石が講演をした時は岡山から出ていき迎えた話がある。私は内田百けん先生(しかし、けんの字出ない)のファンな方だと思うけど、やっぱり一番面白くて好きなのは借金に追われて困る貧乏な話だな。どうして東大を出て独逸語の先生もして作家で名声もある百けん先生が、あんなに貧乏だったのか、うそだろと言う人もいるらしいが私は、本当だと信じる。元々、裕福な酒屋の息子で育った彼はお金がなくなっても坊ちゃんだったんだろう。そこが、また良いとこなのだ。
本の中に、どうしてもお金に困って最後まで売らずに持っていた漱石の書いた掛け軸を売るために、知り合いを通じて骨董屋に売ったら思った値の半分で、しかも、漱石の書はニセモノが多いからと贋作呼ばわりされ恩着せがましく言われた。そんな事は絶対になく、目の前で漱石先生が書かれた掛け軸を汚された思いで悔しくて悔し涙が出たが、それなら返せと言うには売ったお金を使ってしまい、それもできない。なんだかね、その悔しさがすごくわかる気がした。
強欲な古物商て、いつもいるのだ。あからさまなニセモノを法外な高値つけて、成金に本物と売ってる商売なんだから。本物をニセモノと極めつけて、お金に困っている素人の大事なお宝を二束三文で買うこともあるだろう。
一旦、本を読むのをやめて少しパソコンでげんこーを書いた。やっぱり、これが一番書きやすい。プリンターもつないで打ち出して、仕事に行く。天候が不順なせいか仕事場は忙しくなってきた。前にパソコンが壊れてと、偶然窓口で話した方が来られ、どうなりましたか?と聞かれる。あれから修理に出してなんとか家に戻ってきてと言うと、修理代がいくら掛かったとかネット接続のこととか色々と言われた。パソコンに詳しいようで、珍しく窓口越しにしゃべったな。
帰ると、今日が私の誕生日なので娘A子さんが晩ご飯を作ってくれていた。家族がみな揃い、いつも通りにご飯を食べて夜にケーキを食べる。別にめでたくないけど、こんななんでもないのが多分一番なんだろな。