やれやれ

nae586252006-12-06

どうも急に寒くなったせいか、体が重くて手足が冷える。寒いので、厚めのセーターを着ると途端に肩が凝る。やれやれ、暑くなると、しんどいの暑いのは嫌いだと言いまくってるが、寒いのも急に寒いと体がついていかないのよ。
夜も仕事から帰ると、すぐに寝たくなる。そんな訳にもいかないんだけど、疲れてるんだなぁと食事を作っていても思う。つくりたくないんだけど、外食絶対イヤで飲んで帰らないタイムレコーダーのような家人用に、ハンバーグ(これはお湯で温めるの)とアジを焼き、目玉焼きとサラダを作る。私には十分だが、家人には不満なのがわかるが、よっぽどしんどそうな顔してたらしく文句を言わなかった。まぁ、こんな日に、これはなんだ、これが晩のご飯か?とか言ったら私が怒るのがわかってたんだろう。それでも、ご飯は毎日きちんと釜で炊くしチンのごはんにパックのカレーかけただけの夕食は出したことないもんね。
そんな調子の日は出かけるのもなんだか億劫で、買い物しか行かなかったが、銀行に行く用があり阪神沿線のツタヤへもしやと思い寄ると、あったよクリームのCDとドアーズも。あれまぁ、これは近いところに。「さよならクリーム」ライブ盤と「ハートに火をつけて」の二枚を借りて、すぐ家でプレーヤーにかけて聴いたが、これはクリームの方が全然良い。ロックの良い時代がすごくよく出てる。ドアーズは、どこにでもある感じで嫌いじゃないけど、特別すごいとも思わなかった。タイトルの「ハートに火をつけて」が一番好きかな。これ英語だとLIGHT MY FIRE だがハルキさんに言わせると英語のままの方がずっと良いらしい。歌と関係ないと思うけど、日本のしょうもないドラマに同じタイトルのがあったね。きっとプロデューサーは50代後半から60代の人だろう。あっけなくCDが二枚も見つかったので、捜しまわる必要がなくなってしまった。恐るべし、レンタルショップ。今や本もCDもブックオフとツタヤに行くとあるのかもしんない。これじゃ古書店や中古レコード屋さんが売れないワケだ、としみじみ思う冬の午後。
CDのバッグを持って、駅前の新刊書店を覗いてうろうろ見てたら、出たばかりの『グレート・ギャツビー村上春樹訳と古い方の同書、野崎孝訳が同じ棚にあり両方を手に取りパラパラと読んでたら、ずいぶんと訳で言葉が違うのが今更にわかってしまう。特に冒頭の引用した文章は、まるで別の文ほど違うのでよく読むと意味は同じなのだ。『ライ麦畑でつかまえて』も野崎孝訳だったと思うけど、同じ訳者の前訳書を何冊も訳しなおす(こう言うと多分語弊があるんだろけど)のは、多分、フィッツジェラルドサリンジャーの本が、すごく好きなんだろう。もしレイモンド・カーバーの前訳があったら、これも訳しなおしてるだろうし。それと、野崎氏が今は亡き人なのも、再訳しやすいのかも。私は、翻訳のノウハウはまるで知らないけど、同じ本の翻訳を新たに出すのは生きてる人だと、まずいこともありそうな気がする。
まぁ出版社は売れる本なら生きてようが死んでようが出したいのだろけど、野崎氏の訳は、私には親しんだきちんとした読み物に思えてしまう。別に春樹訳が悪いなんてことはないけど、思わずもう一回読むのなら野崎訳の『グレート・ギャツビー』も悪くないと思った。ヒマがあれば、どちらも買って二冊読むのが一番良いんだよな。