寄席はるあき

とうとう一月も終りだ。二月も早く終りそうだなぁ。月曜に、ようやく海文堂へ取り置きしてた『寄席はるあき』安藤鶴夫河出文庫)と定期購読してる「彷書月刊」二月号が今日来てるとかで、受け取る。どちらも読み甲斐のあるので行ってよかった。そうそう、海文堂では二月にサイン会が二つもあるらしい、5日に成田一徹さんという切絵作家さんのサイン会があり、あと18日には岡崎武志さんの『気まぐれ古書店紀行』のサイン会が催されるとか。後者は当人の日記で知ったけど、急に決まったのかな。一ヶ月に二度もサイン会をするなんて、すごいつうか忙しいね。最近、海文堂はイベントが多いが、これで二月の不景気を乗り切る積もりなんだろか(笑)まぁ、どちらも行く予定だし楽しみなのだ。
しかし月曜もまだ、カゼ症状が残ってて足元がふらつく。カフェ・アズマでコーヒーを飲んでサイン会のチラシを置いていく。どんより朝から曇ってたが帰る時は雨がふりだしてた。
そんな天気のせいもあり、どうもすっきりしないなぁ。家に戻り、仕事してから夜に『寄席はるあき』を読んだ中で、「志ん生復活」の話があり。これ以前何かで読んだ記憶があるから、志ん生の特集の何かだったかな。当時の巨人軍のパーティの余興で呼ばれて川上監督が遅れて待たされて、腹減った面々がガツガツ食べてる最中に噺をしようとして脳イッケツで倒れるのは知ってたけど、復活の時に路地奥の日暮里の家までタクシーを入れさせて高座用の紋付姿の志ん生が出てきて車に乗り出ていく時に近所の人がわっと集まり「志ん生万歳」と呼んで送ったこと、高座で志ん生が出るまえのお囃子の「のっと」が鳴りだすと「志ん生待ってました!」のかけ声がどどっと止まなくなる、それを聞いて第一声を出す前に目にきらりと光るものがあるのを、アンツルさんは見ていた。こんなの、この人しか書けないよ。
カゼも忘れそうな、良い噺じゃござんせんか。私は、生か録画か覚えてないけどテレビで志ん生の落語をきいた記憶がある。あのツルツル頭で怖いような顔で、子ども心にじっと聞いてたと思う。今よりずっとよく落語をきいてたから、好きだったのか父親が見てたのかな。
昭和30年後半から40年前半頃だろうけど、不思議と覚えてることはある。でも、なにをしたかとかまるで覚えてないが、聞けば知ってる噺は多い。
 そういや正月明けにした吉朝の「住吉駕籠」をテレビで追悼でやってたが、出てきた姿は、すでにガンで侵され顔色も青白く明らかに病人ぽいように見えた。それが、噺だすとそんな事を忘れてしまうものがあった。つと向きを替えるだけで、明らかに別人になって酔っ払いが出てくるとこなど名人技だよ。これだけの落語をきいたのは、最近ではないもんね。
天はニ物を与えずと言うが、神サマは天才的な落語を与えたのと引き換えに命をとられたのかと思いたくなる。本当に惜しい。あんなに気持良く笑ったの、久しぶりだったものね。