吉朝追悼

いよいよてな感じな今年も残り二日。仕事も昨日で今年は終り、待ってた休みが来たんだが結局、余りうろうろしなかったな。それよかお疲れ様で、ひとりの時間をゆっくりしたくなる。部屋で水曜に買った「エンタクシー」12号をストーブを背にあてながら読んでたら桂吉朝の追悼にかなりページを使っていて、メインは三島由紀夫特集なんだが、なんとなく裏メインみたい。吉朝が、いかに上方もしくは落語家全体の中で惜しまれて亡くなったかわかるようなのだった。弟子の吉弥の追悼文が泣かせるね。昔は噺家は芸を落としたり稽古ができないテレビのダレたお昼番組や休日のやはりダラダラした手抜き昼番とかに小遣い欲しさにレギュラーで出るなんてしなかったような気がするが、今や落語やってるよか、その手の某Y本芸人だらけのトーク番組でしか知らない落語家も多いんだよ。関東では知らないだろけど、関西ではこの芸人がわかった顔して身内ネタ受けだらけの、ダラダラした手抜きな品のない、おまけに知らないのにさわりだけディレクターに耳うちされただけの知識ネタを知らないのに、わかったツラしてしゃべる関西でしか受けない番組が大変多い。見ていて、吐き気がしてくる位、ひどいのばかりで、その中に必ず落語家もいる。国会図書館でマンガしか読んだことのない芸人が取材するようなのを、関西ではふつーに通してしまうあれですよ。
例えば、漫才姉妹のケバさ120%位の女が映画賞の式典で飛び込みでアポなし取材をするんだが、その映画をまったく見ないで映画について聞いたりすることをテレビで平気でやるのが、その手の番組です。それを昼の帯で平気でやってんの。はずかしーでしょ、普通。
それに取材した当人もだが、回りの芸人皆さん誰ひとり映画を見てない。本にしたって同じで、本の話題したって取材した芸人も他の人も誰ひとり読んでない本をネタに平気でする。文化的なこと話したって、どうしようもなく白けてくるのも仕方ないのは誰も知らないからなだけで、芸人が文化的(例えば本ひとつ映画ひとつ演劇ひとつ)な興味や知識に限りなくゼロに近いんじゃないだろかと思わされる。趣味は読書、と公言して、じゃ何を読んでるんですか?と聞かれたら「少年ジャンプ」とか平気で答えそうな感じ。これ、決して誇張じゃありまへん。だからその手の話題で、何を読んだとか矛先を向けること絶対自分にはしないものね。
そんなひどい中で、吉朝が違ってたのは文化的なもの(この言い方はおかしいけど)にとても勉強熱心だったこと。多分、色々な本も読んでた人だろうし舞台や芸の肥やしになるものを落語だけじゃなく興味を持って身につけようとしていたと思う。そんなことをしてたら、バカまるだしの昼ダレ帯番組などに出るヒマはない。芸人は昔は、そんな正当とも言える知性のある人が必ずいた。今、吉朝がなくなって他に居るんだろか。「エンタクシー」を読んでると、そんなことを考えてしまう。受け狙いだけのヤドカリみたいな芸人だらけだと思いたくないものね。正月に一度、吉朝の落語をビデオで流してくれないものだろか。正月には、前はよく落語をきいたのに、最近はめっきりテレビでしない。上手い落語ききたいなぁ。