ねじ巻き時計

今日は随分と蒸し暑い日ですねぇ。梅雨の報せをくわえたコウノトリが雨雲をひっぱって来たような天気だな。こんな湿度がくわーっと高い、ムシムシした日は思考も鈍るし、本も限られたのしか読めなくなる。しばらく本のことを書いてないけんど、別に本屋にも毎日ちょいちょい行くし毎日、新聞も読んで家では本も読んでいる。何か読むものがないと落ち着かない性質なので仕方がない。で、こんな湿度の高い蒸し暑くてうんざりする季節と、うんざりする災いのような事が追い打ち的にあるともーダメ。と本棚に手を伸ばして読むのが、村上春樹の本。どうしてかわからないけど、ハルキ本しか読めない時てのが確かにやって来る。それも梅雨時期に。
ずっと何年も「風の歌を聴け」から「羊」、「ノルウェイの森」「ダンス」と順番決めて僕シリーズを一通り読むてのが、梅雨入り前から夏はじめの儀式みたいにしてたが、流石に飽きてきて表紙見る前に読んだ気になるして、『村上朝日堂はいほー!』をパラパラと読んでいる。そんなことするなら『1Q84』を全部読めば良いのにね、と自分でも思わないこともないけど、ま、それはそれ。まったく読んでないというとウソになるかもだけど。三宮の「ブ」で全三冊売った人がいて買い取りが300円だったとかも、ひどい値踏みのブックオフの実態ぽい。あのチラシの裏の買取値はなんなんだろ?
ええとまぁ話は方々へ散り去ってしまうけど、「はいほー!」を読んでると、ねじまき式時計の話が出てきた。それで、そうだなぁあったなぁ的に、昔あった目覚ましのお腹でネジを巻く時計や友達の家の応接間にあった柱時計が「羊」にあるようなジリジリと分銅を巻き上げるのがあったり。別の人のやっぱり応接間にガラスケースの中で金の小人が踊ってるような細工があるお腹に穴があってネジを差して巻くのとか(同級生の家はそんなのが多かったし)結構、ねじまき時計てのはいろいろとあって大抵は母親が朝にネジ巻きを仕事にしてたみたいだった。家には目覚ましがあったけど、寝る前にネジをいつも巻いてた。電池のも勿論あったけど。
今は、ねじ巻きの時計てないなぁと思ってたら、そうだひとつあった。二年前の暮れに仕事辞める前のボーナスで、ちょっと記念の何かが欲しくてオメガの腕時計のビンテージ(中古)を買ったのがねじ巻きだったのね。これが毎日はめてないし、ねじ巻くのをちょっと忘れると遅れるし手巻きてのは面倒くさいなぁ。と思う。気が向いた時に出して時間合せてネジまくんだけど、忙しい時や仕事の朝は電池の軽いのをするから、年中オメガの時計は止まったまま。気に入ってるし良いモノだと思うけど、まぁねじ巻きより電池の方が結局使いやすいんだよね。でも、あの時計どこに置いたっけ・・・